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  • れな

インナーチャイルドが出てこない。私だけ?理由はなぜ?

「インナーチャイルド」というものを知るとき、それは自らの体験の前に、ヒプノセラピーなどを体験した人のエピソードやそれを題材とした小説などでしょう。

「まぶたの裏に幼い自分が現れて泣いている。抱きしめてあげると笑顔に変わって消えていく・・・」といった話を聞いて、感動し、自分も体験したいと願います。

そうしてヒプノセラピーを訪ねてみますが、自分のまぶたの裏にはインナーチャイルドが出てこない・・・。このような人は多いですが、なぜなのでしょうか?特殊な理由があるのでしょうか?



インナーチャイルドは、霊視のある人しか視えない。

まぶたの裏の「幼い私」は、霊視のある人しか視ることは出来ません。ヒプノセラピー(退行催眠、過去世療法)を受ければ霊視がなくても視ることが出来るのでは、と考える人が多いのですが、そうではないのです。

ヒプノセラピーは、霊視を視やすくするための誘導をするだけのもので、ヒプノセラピーによって霊感、サイキックが急に開くわけではないのです。


あなたは、普段目をつむったときに、まぶたの裏に映画や写真のような絵が視えますか?または死者の霊が視えたり、他人のオーラの色が視えたりしますか?そのような霊視がないのであれば、どれだけ多くのヒプノセラピストを訪ねて回っても、自分のまぶたの裏にインナーチャイルドを視ることはないです。



ヒプノセラピストは、「想像だけでかまわない」と言うが・・・

ヒプノセラピストは大抵の場合、「ヒプノセラピーを受ければ誰でもインナーチャイルドが見える」と言います。そして、「もし見えないとしても、なんとなく想像の中で感じ取ればいいのです」などと言います。

これはどちらも誤りです。

霊視がない人はヒプノセラピーを受けてもインナーチャイルドは視えません。

そして、なんとなくの想像でインナーチャイルドが何かしているのを推察したとしても、それによってあなたのインナーチャイルドが癒されるようなことはありません。トラウマが消えたりしないですし、父親への怒りも消えないです。愛されたい願望も昇華しないです。



そもそも、視えても意味がない。

そもそも、「幼い自分」をまぶたの裏に視たとしても、実は何の癒しにもなっていません。霊視の中で泣いているインナーチャイルドを抱きしめ、その子が笑顔に戻ったとしても、現実のあなたの寂しさやわだかまりが消えたりはしないのです。

ヒプノセラピストは「もう大丈夫です。インナーチャイルドが笑顔に変わったならあなたは癒されました!」と仰々しくあなたを抱きしめ、あなたは感動で涙を流すでしょうか。その瞬間はすべてが癒されたような温かい気持ちにもなるかもしれません。

しかし、翌日になったら気づくでしょう。心のわだかまりは解消されていないと。父親への憎しみや恐怖は、消えていないでしょう。大恋愛したい欲求は消えていないでしょう。



ヒプノセラピストをはしごしても意味がないし、自分でヒプノセラピーしても意味がない。

上記のような空虚な体験をしたとき、他のヒプノセラピストを探したり、もっと神々しい名前のインナーチャイルドセラピーをしている人を探したりするでしょうか。または自分でヒプノセラピーをしようと動画を探したりするでしょうか。

いずれも意味がないです。

とにかく、まぶたの裏の霊視の中でインナーチャイルドを見ても、妖精の子供や天使の笑顔を見ても、あなたの心のくすぶりは改善されないのです。



インナーチャイルドなど、最初から存在しない。

実際は、「インナーチャイルド」などという小人は存在しないのです。

インナーチャイルドとは比ゆ的な言葉に過ぎず、それはただの「叶えられないままの願望、未練、わだかまり、抑圧された感情」などのことです。

霊視があり、想像力の豊かな人が、自分のまぶたの裏に自分なりの小人を描きだすだけなのです。



インナーチャイルドが出てこないとしても、問題はないということ。

つまり、あなたにとってインナーチャイルドが出てこないとしても、まったく問題はありません。

ではどうすればよいのでしょうか?

「インナーチャイルドを癒したい」と感じた理由を見つめてください。「愛されたい」「父親が憎い」などのわだかまりが見つかるでしょう。

そうしたら、そのわだかまりの感情を、直接的に解決する行動をとりましょう。

「愛されたい」と願うなら、恋愛をするための行動をとりましょう。おしゃれを磨いて美しくなり、あの人に話しかけてみる、といったことです。(恋活でもよいですが、コンパに行っても良い恋にはならないので推奨しません。)

「父親が憎い」と感じているなら、あなたの感情を父親にぶつけましょう。子供の頃よりは対等に話が出来るはずです。憎しみが癒えないとしても、和解が出来ないとしても、感情をぶつけたことで少々すっきりするでしょう。


「インナーチャイルド」を神秘的なものと考えずに、「わだかまっていること」と捉えれば、解決のための手口は見えてくるはずです。うさんくさいスピリチュアリストにだまされ続けることにはならないはずです。セラピーもヒーリングもアイテムも要らないのです。

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